【解説】独眼竜・伊達政宗の肖像画や像に「両目」が揃っている理由とは?
宮城県クイズ 第11問
問題
「独眼竜(どくがんりゅう)」の異名で知られ、幼少期に右目を失明した宮城県(仙台藩)の初代藩主・伊達政宗。
しかし、彼を描いた公式な肖像画や木像の多くは「右目が開いた状態(両目が揃った姿)」で作られています。
わざわざ両目があるように作らせた理由とは、次のうちどれでしょう?
- 【1】 敵に弱点を悟られないようカモフラージュするため
- 【2】 当時の絵師が気を遣って勝手に両目を書き足したから
- 【3】 病気で失ったことを「親不孝」だと悔やみ遺言を残したから
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正解と解説
【3】病気で失ったことを「親不孝」だと悔やみ遺言を残したから
「独眼竜」として有名な伊達政宗ですが、幼少期に天然痘(てんねんとう)という病気で右目を失ったことを、「親からもらった大切な体の一部を失ってしまったのは、大変な親不孝である」と深く悔やみ、死に際に「自分の肖像画や木像を作る時は、必ず両目を入れるように」という遺言を残したためです。
そのため、政宗の御霊屋(おたまや)である「瑞鳳殿(ずいほうでん)」に安置されている木像や、公式な肖像画の多くは両目がしっかりと開いた姿で描かれています。戦国武将としての荒々しいイメージとは裏腹に、家族を重んじる義理堅く繊細な一面が伺える感動的なエピソードです。
現代の「ダテ男」の語源となった美意識
政宗といえば、派手で洗練された衣装を好むことでも有名でした。豊臣秀吉の命により軍勢を率いて上洛した際、家臣一同に金箔を貼った豪華絢爛な装束を着せて行進させたという伝説が残っています。
そのあまりのカッコよさと華やかさに京都の人々は度肝を抜かれました。ここから、派手でおしゃれな服装を好む粋な男性のことを「伊達者(だてもの)」や「ダテ男」と呼ぶようになり、現在でも「伊達メガネ」などの言葉として日常的に使われています。
実は超グルメ!仙台名物を生んだ「美食家」
戦国武将としての凄みだけでなく、政宗は「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」という名言を残すほどの超一流の美食家でもありました。
城内に味噌の醸造所である「御塩噌蔵(ごえんそぐら)」を設けて現在の「仙台味噌」の基礎を築き上げたり、凍り豆腐やずんだ餅の考案に関わったという説もあるなど、宮城が誇る豊かな食文化のルーツをたどると、政宗のグルメな探究心に行き着くことが少なくありません。
絶対に見逃せない!青葉城の「騎馬像」
仙台観光で絶対に外せないスポットといえば、仙台城跡(青葉城跡)にそびえ立つ「伊達政宗公騎馬像」です。
仙台市街を一望できる高台から、天下取りの野望に燃えた政宗と同じ視線で街を見下ろすことができます。ちなみにこの有名な騎馬像も遺言通り両目が開いていますが、よく見ると右目だけほんの少し小さく(薄目に)作られているという、彫刻家の絶妙なリスペクトが隠されています。日没後にはライトアップされ、100万都市・仙台の夜景と共に浮かび上がる姿は必見です。
