【解説】三内丸山遺跡とは?
青森県クイズ 第8問
問題
青森県を代表する縄文遺跡・三内丸山遺跡は、広大な集落跡と大型掘立柱建物跡で知られる世界遺産構成資産です。では、この遺跡が最も栄えていた時期は、縄文時代のどの時期とされているでしょう?
- 【1】 縄文時代早期
- 【2】 縄文時代中期
- 【3】 縄文時代晩期
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正解と解説
【2】縄文時代中期
三内丸山遺跡(さんない まるやま いせき)は、縄文時代中期(約5,500〜4,000年前)の大規模な集落跡として、日本を代表する縄文遺跡です。
巨大な掘立柱建物が示す縄文人の高度な技術
遺跡の象徴である六本柱の大型掘立柱建物跡は、直径1メートル級のクリの木を柱に用いた巨大建造物です。用途は諸説ありますが、祭祀・見張り・貯蔵など多面的な機能が推定されており、縄文人の高い木工技術を物語ります。
大規模な集落・長期間の定住跡
竪穴住居跡や貯蔵穴、墓域、作業エリアなどが広がり、数百年にわたり人々が生活した“定住型の大集落”であったことがわかっています。縄文人は移動生活をしていたという従来のイメージを覆す、重要な証拠となりました。
クリの森を計画的に利用した暮らし
遺跡からは大量のクリの木材が出土しており、縄文人がクリ林を管理し、建物材・食料として利用していたことが判明しています。植物の栽培・管理を行っていた可能性を示す貴重な発見です。
世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」を代表する存在
2021年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中心的遺跡であり、縄文文化の象徴的存在として国内外から多くの研究者・観光客が訪れています。
