【解説】七飯町(ななえちょう)の特産品「りんご」
北海道クイズ
あまり知られていませんが、日本で最初に西洋りんごが栽培されたのは北海道の七飯町(ななえちょう)です。江戸時代末期に海外から苗木を取り寄せ、西洋式の農法を日本で初めて行った人物は誰でしょう?
- 【1】 エドウィン・ダン
- 【2】 川田龍吉
- 【3】 R・ガルトネル
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正解と解説
【3】R・ガルトネル
七飯町(ななえちょう)は「日本の西洋農業発祥の地」「近代農業発祥の地」「西洋りんご発祥の地」などといわれ、江戸時代末期に函館を訪れていたプロシア(ドイツ)の商人ラインハルト・ガルトネル(R.ガルトネル)がここで農場を開き、プロシア式の農業を実践した歴史と関係しています。
「和りんご」と「西洋りんご」
アジアに伝わったりんごは、鑑賞用のヒメリンゴとして伝えられ、日本には平安時代に中国から伝えられたといわれています。これらのりんごは「和りんご」と呼ばれ、現在食用となっている西洋りんごとは区別されます。
ガルトネル農場
R.ガルトネルは、日本にはなかった洋梨、グズベリー、カーレンツ、桜桃、ブドウなどの苗木22種を海外から取り寄せ、これまで日本では見られなかった西洋式の大型農器具を持ち込み、七飯町(当時:七重村)の土地約300万坪を借用して開墾・栽培に着手しました。日本で始めて西洋りんごを栽培したのがガルトネルと言われています。ガルトネル農業の貢献は大きく、リンゴやブドウなど多くの作物を日本に紹介しました。七飯の果実は、ガルトネルの伝統を受け継いでいます。
七飯町の農業と特産品
明治3年、明治新政府は日本が列強国の植民地となることを恐れ、多額の賠償金を支払ってガルトネルを帰国させます。ガルトネル農場は「七重官園」が受け継ぎ、さまざまな作物の栽培試験が行われたほか、エドウィン・ダン等の指導により優れた農業指導者がここから巣立ち、北海道の開拓や農業の近代化等に大きな足跡を残しています。
明治10年、青森県のりんご栽培の先駆者といわれる菊池楯衛が七重官園でりんご栽培を学び、青森県でりんご栽培を広めた歴史もあり、青森県は日本を代表する産地となりました。七飯町から広まった日本の西洋りんごは、スターキング、つがる、レッドゴールドなど、どれも伝統と風土が育てた名作です。
ちなみに、北海道の畑作物の代表と言えるじゃがいもの中でも人気を二分する男爵いもは川田龍吉男爵の手により七飯町の農場で栽培されたのが最初であり、好評を博したいもは『男爵いも』と命名され全国的に普及しています。
このように、現在の食用りんごが日本で最初に栽培されたと言われる七飯町。現在では水稲をはじめ馬鈴薯・大根・人参などの畑作、りんご・ぶどうなどの果樹、酪農、畜産と全般に渡っており、近年はカーネーションをはじめとする花栽培も盛んになっています。
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★参考:七飯町ホームページ
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